長仙寺の歴史について

長仙寺の歴史

長仙寺に伝わる縁起書(えんぎしょ)によると、長仙寺は天平18年(746)に行基菩薩によって創建されたと伝えられている。しかし、行基菩薩創建と伝えられる寺院は、全国に約2000箇寺もあると言われ、その真偽は定かではない。しかし、長仙寺が平安時代には存在したらしく、渥美半島内では、神戸の松本寺と共に、渥美半島内屈指の真言密教寺院であったと思われる。

 鎌倉初期には、東は現在の豊橋市赤沢町番場、西は現在の田原町豊島、北は杉山町御園、南は海までという広大な寺領を有していたと思われる。  後に盛衰を経て、足利幕府になり、再び寺領も安定し、住僧の行き来も盛んになった。東は現在の静岡の諸寺院、県内では鳳来寺や足助神社末寺院、大須、高野山、京都と多くの僧侶達が修行をし、教学の研鑽に励んだと思われる。

 永禄8年(1565)、後の徳川家康が現在の豊橋の吉田城を落城し、田原城を攻撃するため、長仙寺に本陣を張った。この時、戦勝祈願と前厄祈祷を行い、願いかなって岡崎に帰り、492石余を長仙寺に与えた。当時としては破格の石高であった。  その後、住僧の怠慢で、これらの領地が自然没収となってしまった。江戸初期、東照権現(家康)の書状がありながら、このような朽廃に瀕しているのを見かねて、寛文11年(1634)、当時の田原藩主三宅康勝は三十石の領地を下した。その後も、田原藩の庇護の元、中興がなり、江戸時代の終わりまで、一進一退の寺運が続いた。盛衰を繰り返してきた長仙寺であるが、僧侶の教学研鑽の場として、一貫して多くの真言僧侶を育成していた。

天保5年(1834)、近江多賀大社から、長仙寺の鎮守として、寺内の阿弥陀堂に多賀大明神を勧請し、長仙寺のみならず、半島内の鎮守として、多くの信者を集め、現在に至っている。

戦前までは、京都にある仁和寺を本山とする御室派であった。昭和25年(1950)に単立の宗教法人となる。