長仙寺の境内について

長仙寺の境内について

本堂

長仙寺一山の本堂です。別名金堂とも読んでいます。本尊は秘仏としてあります、如意輪観音です。前立本尊も如意輪観音です。その両脇に、梵天、帝釈天、右に弘法大師がまつられています。 また、外陣に大黒天とびんずる尊者もまつられています。 長仙寺は、檀家寺ではなく、僧侶の養成機関として、地域の真言宗僧侶を育て、豊橋はじめ東三河一帯に弟子たちを派遣していた。戦後も長仙寺で修行した僧侶が活躍していた。このような性格から、この本堂は一般参拝者の参拝スペースが狭く作られている。

多賀壽命殿

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天保5年(1834)、近江多賀大社から多賀壽命尊を勧請した。それ以前は、このお堂は阿弥陀堂であった。多賀大明神を勧請した頃の住職は、行篤であった。 明治になって、廃仏毀釈の嵐が渥美半島にも吹き荒れ、多くの寺院の鎮守が境内の外に隔離され、多くは村社になった。長仙寺境内の東の猿田彦神社も、もともとは長仙寺の鎮守であった。しかしながら、そんな冬の時代にあっても、多賀壽命尊が廃仏毀釈の対象にならなかったのは奇跡とも言える。その理由として考えられるのは、すでに地元住民にとって、多賀壽命尊が欠くことのできない信仰対象であったことと思われる。 尚、明治34年(1901)に、壽命殿は一度焼失し、まもなく再建され、昭和60年(1985)に屋根を修覆し、平成5年(1993)、待合室を増築し、今に至っている。 壽命殿では、大祭以外の日でも、家内安全や厄除け、安産祈祷などを毎日行っている。(大祭の前後日は、準備と後片付けのため、御祈祷は休み)

薬師堂

平成10年(1998)に建てられた新堂。江戸時代には、この場所に寺子屋が建っていた。その頃に教科書として使われていた往来物が、今も長仙寺には伝わっている。後に寺子屋は杉山村役場としても使われた。その後しばらく、長仙寺に講堂として使われていたが、平成10年(1998)に薬師堂として建て替えられ、長仙寺檀家の位牌堂として使われている。この薬師堂は、子どもでも怖がらずにお参りしてもらいたいという思いから、明るい堂内になっている。

護摩堂

本尊は、不動明王。寛文8年(1668)年に建立された。現在田原市の文化財に指定されている  

山門

天保13年(1842)に建立された、長仙寺一山の山門。左右に阿形、吽形の仁王をまつり、長仙寺一山を護持している。  

御旅所

 

長仙寺霊園

昭和40年(1965)、既存の墓地を整備し、現況の墓地霊園となる。中央には室町時代後小松天皇の皇女松代姫の五輪塔がある。また長仙寺の中興以来の先師の墓地もある。この霊園から見る、夕映えの蔵王山・衣笠山・藤尾山は絶景である。  

法縁塔